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大手建設会社が建設に関わる上野駅 歴史を建築的視点から見る
上野動物園のパンダや年末のアメ横といったイメージも強いですが、石川啄木の歌にも登場する歴史ある「上野駅」。今回はそんな歴史と人々のさまざまな想いを運んできた日本の玄関口である、上野駅の建築についてご紹介していきます。
上野駅の歴史
上野駅は日本初の私鉄・日本鉄道の駅として明治16年7月にオープンしました。駅ができる前は、徳川家の菩提子である寛永寺の子院でしたが、上野戦争により荒れてしまい日本で初めての公園が作られることに。
その一部を東京府(1868〜1943年の東京都の前身)から借りる形で駅舎を建てたのが始まりです。当初は汐留駅や横浜駅などモダンな造りを参考にし、レンガ造りの様相でしたが、関東大震災で焼失し、木造の仮校舎でしばらくしのぎます。
新しく建て替えたのは昭和5年になってから、当時の鹿島建設が入札で担当を勝ち取りました。設計者の酒見佐市とともに人と車、荷物の動きを立体的に分けた設計を貫いたことで、時代の波に翻弄されることなく現在があるといわれています。
上野駅を建築的視点で
ここでは建築的視点からみていきます。
- 1、立体的デザイン
- 2、地盤が軟弱
- 3、使用モルタルについて
前述の通り、昭和の改装では1階は改札や待合など人をメインに、2階は駅機能を、高架下は荷物の動きをなど、階ごとに分けています。トレンドに乗らず、使いやすさを重視した結果、現在でもスムーズに営業が可能となっています。
地下水の水位が下がれば地盤沈下、上がればホームが浮き上がるなど翻弄されやすい地域にある上野駅。常に、一定を保つことができるよう、長さ17mのアンカーボルトを地下に650本ほど打ち込み、地下水を不忍池に流す工事を行いました。
外壁は小松石や多胡石を混ぜ込んだモルタルを使用しており、火災にも強いよう設計されていました。 現在は大林組によって地下鉄部分を「美術館のある街」のコンセプトの元に改装中ですが、2017年末にはリニューアル予定です。どんな変貌を遂げるのか、楽しみですね。
上野駅周辺の建築も
- 上野駅自体も建築や歴史に富む場所ですが、周辺も魅力的な建築物に囲まれています。世界遺産登録された国立西洋美術館や旧寛永寺五重塔から、馴染みきっているスタバまで多彩な建築をみることができる貴重な地域です。上野駅に訪れた際にはこれらの建物を見て回るのも楽しいですね。型枠に関する道具や資材については東和製作所にお任せください。
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