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大工の誇り!東京タワーの建設方法ってどんなもの?
東京タワーと大工の関係
東京の観光スポットとしてまだまだ現役な東京タワー、建設にはあまり知られていない大工たちの物語があります。東京タワーの基本情報をおさらいすると正式名称は「日本電波塔」というお堅い名前。設計は名古屋テレビ塔や通天閣などタワー6兄弟をはじめ数々の電波塔を手がけた「内藤多仲」です。実は、耐震構造の父とも呼ばれ、以前紹介したトラス構造を使用した設計されており、関東大震災以上の震災にも対応できるといわれています。当時、333mという高さはエッフェル塔の324mを抜いて自立鉄塔として世界一!色は航空法に指定された赤と白を用いていますが、利用したペンキはなんと25mプール50杯相当の33000Lとすべてが豪快です。
参照:歌舞伎座や東京タワーを支えている、メガトラスとトラス構造って?
東京タワー建設の歴史
電波塔を一括するだけでなく、日本のシンボルになるよう建設業界は立ち上がり着工。展望台で集客して建設費用を10年ほどでペイすることも念頭においたガッチリな計画です。とはいえ、しっかりと日本の風土に合わせて設計されており、地震の揺れを緩やかに吸収できるよう考えられています。緻密な計算が必要で設計図は1万枚にも上ったといわれていますが、実は当時、まだ電卓はなく計算尺を使い3ヶ月間計算し続けたのだとか。現在では考えられないハードルがいっぱいだったのです。しかし、建設が始まると1年3ヶ月の短い工事期間であっという間に組み立て完了したことに日本中が驚きました。もちろん、その期間中も簡単に工事を進められる訳でなく、寒波に耐え強風にも悩ませながらの作業です。しかも、当時は今ほどの重機や設備はなく、そのほとんどが鳶職人たちの手作業で行われていました。まさに、大工たちの技術力の賜物です。携わった大工の数は22万ほど。今でも、その大工さんの誇りと技術が我々の生活や東京の名所、東京タワーを支え続けているのです。本当に頭が下がりますね。
東京タワーに脱帽
芝公園にそびえ立つ東京タワーですが、最初は上野公園付近が有力だったことは有名ですが、実は千葉のマザー牧場も東京タワーの予定地として購入されたものであるなど、建設トリビアはまだまだあります。気になったら深掘りしてみるのも面白そうですね。今もなお、東京スカイツリーと双璧をなす東京の観光スポットですが、先人の大工の汗と苦労と情熱がたくさん詰まっているのです。東和製作所はそんな大工たちの思いに応えるべく、資材・部材の提供を行っています。まずは気軽にご相談ください。
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