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日本初のテレビ放送用電波塔、「名古屋テレビ塔」の建設と免震

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日本で初めてとなるテレビ放送用電波塔であり、開業当初は東洋一の高さを誇った「名古屋テレビ塔」。最近ではオアシス21から望むテレビ塔がインスタ映え抜群と海外からも注目を集めているのだとか。今回はそんな名古屋テレビ塔の歴史や構造について迫ります。

名古屋テレビ塔とその歴史

名古屋テレビ塔は日本初のテレビ放送用集約電波塔として1953年、名古屋の栄で建設されたものです。今でこそビルが立ち並び多くの車や人が行き交う場所ですが、当時は空襲によって焼け野原に。そのため、復興のシンボルが求められていたという背景があります。

名古屋テレビ塔の役割はその名の通り、テレビの電波を送信するためのものですが、展望台やレストランがあり観光地としての一面も。展望台では、鉄骨が見える様子がレトロの雰囲気を醸し出していておしゃれなため、そこで結婚式をされる方もいます。また以前は地上から展望台までの”クライミング大会”が行われたりと名古屋っ子の心を明るく照らしました。その功労を称えるべく、登録有形文化財にも登録されています。

名古屋テレビ塔の構造と建設

大手工務店が中心となり7社が関わった建設工事ですが、設計者は内藤多仲。全国に散らばるタワー6兄弟の長男として設計され、五男の東京タワーが立つまでは日本一の高さを誇る高層建築物でした。

それほどの規模・高さの建築にもかかわらず、戦後ということで重機が不足しており、基礎はツルハシやスコップが主戦力。部材も人力で持ち上げ、ボルトやリベットで鉄骨トラスを組み上げるなど、かなり辛い工事を昼夜を通して行ったと記録されています。

テレビ塔の真下に将来地下鉄を通す計画があり、6mしか脚を埋めることができないため、脚を開き重心を低くした「だるま式構造」を採用しました。脚部分には鉄筋コンクリート造の交差アーチが取り付けられており、地中深く埋めることができなくても安全な設計となっています。

耐震工事により第3の人生がスタート

一旦は電波塔としての役割を終えたテレビ塔ですが、スマホのための放送電波を送信してきました。ですが、この放送も終わりを迎え、生き残るためのプランを練る必要性に迫られています。

その1つとして進められているのが耐震工事であり、展望台やレストランも2020年まで休業して行う大規模なものが予定されています。名古屋テレビ塔は、戦後復興のシンボルでもあり、恋人の聖地との声も上がる地です。名古屋に訪れた際は、耐震工事の現場を遠くから見守るだけでも縁起がよいかもしれません。

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