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歌舞伎座の歴史 明治期から愛される、日本最大級の劇場の建築とは
歌舞伎座の建築歴史
数ある劇場の中でも知られた存在の歌舞伎座。演劇や噺はもちろんですが、建築関係者としてみても、度重なる災害に耐えて今に至たる建造物としての歴史があって面白いんです。
歌舞伎座は1889年「明治の演劇改良運動」の流れを受け、銀座に設立されたのが始まり。その当時、劇場の名はその設立した場所の地名を用いるのが当たり前でした。そのため、「歌舞伎座」という名を冠したのは異例でした。
設立当初の歌舞伎座は、外観は洋風の近代建築に内部は和風の和洋折衷なデザイン。三階建の檜造りで、当時の劇場のなかでも最大級の舞台として名を馳せました。この頃は、9代目市川團十郎や5代目尾上菊五郎ら名優たちが演じた時代であり、歌舞伎界を盛り上げる名優に負けじと舞台も大いに活躍していました。
度重なる改修
明治44年、初めての改修工事が行われます。建物の老朽化や帝国劇場の出現に伴い、第1期はここまで。第1期の歌舞伎座の土台と骨組みは残しながら、外観を純日本式の宮殿風に改装した第2期歌舞伎座が幕を上げました。金張り格天井など絢爛豪華な装飾も美しかったのですがその後、漏電が原因で焼失してしまい第2期は早々の幕じまいとなります。
なんとか、ご好意で「志村座」を借りての営業をしながら第3期の計画を立て着工するも、関東大震災の影響で、一旦中断に追い込まれることに。しばしの空白期間を経て、大正13年に奈良朝の桃山様式を用いた日本式大建築ながらも、耐震・耐火性を持つ鉄筋コンクリート建築の第3期歌舞伎座が落成されます。
しかし、ここでもめでたしとはなりません。この日本式大建築の結晶でもある歌舞伎座、なんと東京大空襲によって外郭を除いて焼失してしまうのです。照明をドイツやアメリカから取り寄せるなど凝っていただけに悔やまれますね。第4期は私たちにも馴染みの深い歌舞伎座です。残った基礎や側壁を利用して近代的な設備を設置しつつ、前回同様に奈良・桃山時代の趣を再現する建造物の優美さは知ってのとおりで、「登録有形文化財」にも登録され文化財としても認められています。
現在は、さらにパワーアップして第5期に変身を遂げた歌舞伎座。バリアフリーや耐震など最新の建築構造や設備を取り入れつつ、第4期の部材を再利用するなどこれまでの伝統も活かしています。
最新技術も一役
幾多の災害を乗り越え、名優が演じてきた歴史と最新の技術が合わさった現在の歌舞伎座。建物の無柱化には「メガトラス」と呼ばれる構造が採用されています。
その技術・建築には、永きに渡って愛される歌舞伎座への建築者たちの思いがあります。観劇がてら、建物構造に注目してみるのも面白いですね。
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