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建物の老朽化、耐震を考えた阪急梅田ビルの歴史や建て替えについて

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梅田の街にそびえる大きなビルといえば、どれを思い浮かべますか?建て替えによって一新した「梅田阪急ビル」を挙げる方も多いのではないしょうか?その工事には中心地ならではの苦労も多々あったとか。今回はその梅田阪急ビルについてご紹介してまいります。

梅田阪急ビルの歴史

梅田阪急ビルは1920年に阪急ビルとして竣工したのが始まりです。東京の呉服系百貨店・白木屋を誘致していましたが契約が満了し、1929年4月に阪急百貨店を開店。当時、世界で初となるターミナルデパートとして注目を集めました。

阪急電車の副業的位置づけであり、広告費、輸送費、家賃もいらない、電鉄のターミナル前という立地をフルに活かした戦略が見事に大当たり。急速に梅田の顔として発展していきました。

1931年には「築地本願寺」を手がけた伊東忠太が設計したアーチ天井のコンコースが誕生し、壮大でモダンな空間に目を輝かせた方も多かったとか。建て替えの際は連日ファンが訪れ別れを惜しみましたが、当時使われていたシャンデリアや壁画は新ビルのカフェ&レストランで活躍しています。

建て替えの背景とは

梅田阪急ビルはこれまで営業しながら増築を繰り返してきましたが、建て替えを決意した背景として梅田地区の競争激化や建物自体の老朽化が挙げられます。この機会に耐震性を向上させることで安全性を確保し、将来の改修コストを削減する効果が見込まれます。

また、特別措置法によって容積率が緩和されたことも大きな要因。容積率1800%の中に、国内最大規模の売り場スペースや、抜群の環境を活かした大規模オフィスが入居できるスペースを確保しました。郊外に新しく建設するのではなく、往来の激しいターミナル駅の前という立地であり、前代未聞の規模感です。そのため建設側だけでなく、監督する行政も判断を迷う場合が多かったといいます。

工事は1期と2期に分け、営業を続けながら半分ずつ工事を行う方式を採用。その間にオフィス棟の工事も入るため6年以上を要する大工事となりました。

大阪を訪れるなら

すでに完成している新梅田阪急ビルは、地下通路にあった段差をなくすなどバリアフリーも考慮されており、梅田の街にすっかり馴染んでいます。この成功も、適材適所を考慮した人と道具があってこそ。現場に適した型枠の資材に関しては東和製作所にお任せください。

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