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ネオ・バロック様式を用いた国宝建築 迎賓館赤坂離宮の歴史を探る

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迎賓館赤坂離宮は一般公開されていることも多いですが、訪れたことはありますか?ここは本当に日本なのかと疑うほどの異国情緒とセレブ感に溢れた存在です。今回はその歴史や建築様式について詳しくみていきましょう。

迎賓館赤坂離宮とは

現在、迎賓館は海外の首相や国王など日本国の賓客の宿泊やもてなしのための施設です。ですが、もともとは皇太子ご夫婦がお住まいになる東宮御所として1909年に造営されました。1階の右半分に皇太子妃、左半分は皇太子の居住スペースがあり、2階はラウンジや大広間など来賓をもてなしていましたが、どこも繊細な細工が施され、まばゆいばかりの美しさ!ヨーロッパに引けを取らない当時の匠たちの技術力の高さに驚かれることでしょう。その美しさもあって、赤坂離宮は明治以降の建物として初めて国宝に指定されました。

赤坂離宮の建築様式

設計者の片山東熊(とうくま)はイギリス人建築家のジョサイア・コンドルの弟子であり、西洋建築の第一人者です。片山は1年ほどじっくりと時間をかけて宮殿建築について学び構想を練り上げた結果、当時世界で流行していたネオ・バロック様式を採用しました。ネオ・バロック様式とは、絵画のような華やかさを特徴とする建築様式であり、帝国主義が主流であり国家としての貫禄を映すに適任と考えたのでしょう。構想は1年でしたが、建築は足掛け10年に及んだだけでなく費用は予算の2倍、現在の価値で500億円を超えたといわれています。こんなにも予算を超えた理由の一つに、欧米トップクラスの装飾品や家具調度品などを輸入し完璧な建築物を実現したことが挙げられます。しかし、贅を尽くした東宮御所に明治天皇はあまり寄り付かず、昭和天皇も居心地が悪いからと結局移ることはなかったそうです。それどころか、片山は明治天皇から「贅沢が過ぎる」といわれ心を痛めたといわれています。

赤坂離宮だけでない迎賓館

迎賓館赤坂離宮の見学はライトアップの時間、さらに美しさが増すのでおすすめですよ。機会があれば、一度見学して迎賓館の歴史を感じてみるのもいいでしょう。また、迎賓館といえば迎賓館赤坂離宮が最初に浮かぶ方も多いでしょうが、実は和風建築の京都迎賓館もあるんですよ。こちらの建設秘話も機会があればいつかお話したいと思います。

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