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どうなる首里城再建 技術は失われ、資材も調達困難(下)

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伝統技術の塊だった復元首里城

再建を望む声は無数にあります。しかし、前回の再建では可能だったのに、この30年の間に失われ、再現が難しくなった技術がたくさんあります。再建に取り掛かることができるとしても、これらが大きな問題になりそうです。

赤瓦

建物の独自の景観を作り上げていた大きな要素が「赤瓦(あかがわら)」です。単に色が赤いだけではなく、材料や焼き上げる技法も独自のものです。

前回の再建では、瓦職人で水墨画の画家でもあったの奥原崇典(おくはらそうてん)さんが5年間の研究の末、再現しました。しかし、奥原さんは2014年に亡くなり、その技法を引き継いでいる人もいません。

また、瓦の主原料は「ケチャ」という黒っぽい泥岩です。前回の採取場の中には、すでにその上に建物ができたところもあり、必要量の確保が困難になっています。

漆器職人

赤い壁や柱の建物ならば、神社などでも見かけます。ただし、これらの多くは酸化鉄を植物油などに溶かして使った「紅殻塗り(べにがらぬり、べんがらぬり)」です。一方、首里城の建物の外壁は工芸品などでも見られる漆塗りで、沖縄県内の漆器職人が担当しました。

その漆器職人は350人いたのが今は50人にまで減っています。また、単に漆を施すだけではなく、沈金や螺鈿(らでん)なども城の装飾には必要で、これらの技術を持つ漆器職人となるとさらに限定されてしまいます。

木材

首里城に限らず、伝統建築の再建で常に問題になるのが、木材の確保です。特に、主要部分に好んで使われるヒノキの大木はそうです。かなり前から日本国内では確保できず、前回の首里城の復元でも台湾産の近似種(タイワンヒノキ、タイワンベニヒノキ)が使われました。

しかし、台湾政府はすでにタイワンヒノキの伐採を禁止し、タイワンベニヒノキも大木は保護しています。米国産の近似種や、国産のスギに切り替える案も出始めました。

沖縄の人にとっての首里城とは

「(首里城は)沖縄のアイデンティティーの礎で映像を見て大変ショックを受けている」とは火災直後の富川盛武・沖縄県副知事の言葉です。

沖縄戦では人口の約4分の1が亡くなり、首里城も焼け落ちました。沖縄の人にしてみれば、前回の首里城復元でようやく、自分たちの戦後も一区切り着いたところだったでしょう。

おそらくは心に大きな穴が空いた状態で、「落ち込んでいばかりではいられない。1日も早い再建を」といった声があちらこちらから上がっています。

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